
マヤ暦占いで言う『無意識』は、毎年の誕生日に入れ替わります。
マヤの人々は、20の神々のうち、毎年の誕生日に巡ってきた神が、それからの1年を守護すると考えていました。
『顕在意識』の深層下に『潜在意識』が存在しますが、『無意識』は更に下の層に宿ります。
みなさんはここで改めて疑問が生じるのではないでしょうか?
「一つの心に、更に別の意識が宿るのか?」
そうなんです。
一言では説明しきれない、人の心の複雑さを、マヤの人々は暦を通して読み取っていたのです。
年ごとに、ご自身の価値観に、ほんの少しではあると思いますが、違いが生じたと感じたことはありませんか?
それはおそらく『無意識』の影響でしょう。
20の神々が入れ替わり宿ることによって、様々な価値観を体現し、多様的な人々の存在を受け入れる人間性が育まれるように神が与えてくれたと、マヤの人々は考えていました。
『無意識』はその時の出会い、出来事にも影響します。
人々との相性も変化し、付き合いが深くなったり、離れたりと交流にも変化が現れるでしょう。
マヤ暦占いでは、この『無意識』の流れや相性などを読み取り、運勢を診断していきます。
いかがでしたでしょうか?
複雑と言われる『マヤ暦占い』ですが、それは人の心や行動が多様している故の事なのです。
これらをカテゴリーごとに訳、20と13のタイプ別に分類したマヤの人々の叡智は計り知れません。
是非、ご自身がどんなタイプで、どんな『無意識』の状況にあるのかお知りになると、これからの過ごし方に役立つと思います。
人の心理に、
相手のために何かをすると、その回数や労力によって、
相手への思いが深なることがあります。
相手を、自身の労力の対価に見合うくらい価値がある人であると、脳が思い込むためだそうです。
余談ですが、甘え上手な女性がモテるのはその為と言われています。
頼られ、相手の役に立ち、喜ばせることはとてもうれしい事。
いつしか、相手の喜ぶ姿を見るのが、自分自身にとっての喜びとなり、
やがてやりがいや生きがいになる事もあるでしょう。
しかし、人と人との関係は、時に儚く、いつまでも同じという訳にはいかなくなる事もあります。
互いの関係に距離を感じるようになった時。
孤独を感じるようになった時。
報われたと感じなくなった時。
その時、どう思うでしょうか?
自分の努力が足りないと、自分を責めるでしょうか?
これまでの努力や苦労をわかっていないと、相手を責めるでしょうか?
その人、あるいは仕事を支えているのは自分だから、もっと頑張らねばと自分を鼓舞するでしょうか?
それまでの労力が重なれば重なる程、重いは強くなるでしょう。
離れがたい気持ちになるのは当然と言えるかもしれません。
そして、その為にあらゆる手段を考え、行動してしまうかもしれないでしょう。
それが執着へとつながるのです。
そうなった時、とても苦しい気持ちで過ごし始めることになるのではないでしょうか?
もし、執着していると感じた時は、
「自分が好きでやったこと。」
と思いなおせば、きっと心もずっと軽くなる事でしょう。
そして、新たな道が開けると思います。
前回の投稿 20の神々と意識 の中で、20の神々のエネルギーは複数通りに影響を及ぼすとお伝えしました。
ではどのように影響するのでしょう。
何度もお伝えしておりますが、20の神々のエネルギーは『意識』となり、人の心に宿ります。
そして、生まれ持った人間性を格付ける意識は『顕在意識』と『潜在意識』に分かれます。
260のタイプのうち、多くの場合はこれらは全く別のものが組み合わされます。
つまり、一人の心に、異なった意識が同時に存在するのです。
不思議ですよね?
ですが、みなさんはご自身の心の中に全く異なる性質の価値観をそれぞれ感じ取ることはありませんか?
そんな時は、迷ったり、ブレて居るのではないか?と自信を無くしたり、自己否定したり、はっきり言葉にできなかったりといった経験をされたのではないでしょうか?
そういう複雑な人の心理を、マヤの人々は実に正確に細分類しました。
ではそれらはどういった関係性なのでしょうか?
『顕在意識』は表面化しやすい意識として認識されています。
わかりやすく例えると、『見た目に認識しやすい性質』です。
『潜在意識』は心の奥の方に潜っているように存在する意識となります。
そのため、周囲からは認知されにくく、場合によってはご本人でさえも気づいていない事も。
人の心は複雑と言いますが、マヤ民族の視点から見ると、なるほど複雑になるのもわかります。
では、マヤの人々はこの複雑な心の在り方どのように捉えていたのでしょう。
彼らは人の心を植物の木に例えていました。
『顕在意識』は木に例えると『枝』『葉』
これらは現世において活動やコミュニケーションに役立てるツールとして神が与えてくれたのもとされていました。
『潜在意識』は木の『根』
現世においての目的や活動のエネルギー源として神が与えてくれた性質であるとされていました。
神々は人に異なる『意識(価値観、性質)』を与えるのは、そのことによって人が悩み、迷い、苦しみ、そしてそこから学んで成長することを願ってのこと。
そして、『見た目』の『顕在意識』だけではなく『潜在意識』である『根』も大切にし、木がやがて『花』や『実』を付けるように、人々も心豊かに在ってほしいとマヤの人々は解いていました。
さて、いかがだったでしょう。
2回にわたって『顕在意識』と『顕在意識』についてお伝えしてまいしましたが、ご理解いただけたでしょうか?
「マヤ暦は難しい」というご意見が多かったため、私なりにご説明させていただきましたが、やはり複雑な説明になってしまったと実感しております。
今後、更にわかりやすくご説明できるように、文章力を磨いてまいります。