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2025年10月8日水曜日

失敗が怖くて動けない心理

こんにちは。

マヤ暦ライフアドバイザーの田中 智咲斗です。

今日は、やりたいことがあるのに、やれずにモヤモヤしてしまう気持ちについてお伝えしたいと思います。

前回の投稿でも触れましたが、

・「やりたいことがあるのに、一歩が踏み出せない」

・「失敗するくらいなら、最初からやらない方がマシ」

と思われている方がいらっしゃるのではないでしょうか?

成功している人は

「失敗を恐れずに、勇気を出して、一歩前に進みましょう」

「失敗は成功のもと。積み重ねることが大事」

と助言してくれますが、その言葉だけでは簡単に行動に移せないものです。

でも、心の中ではもう一人の自分が「動け!動け!」と命じてる。

「失敗さえ怖くなければ」

そう思う方も多いでしょう。

人はなぜ、失敗を恐れるのでしょうか?



なぜ人は失敗を恐れるのか?

失敗を恐れる原因としては、一般的に次のような要因が考えられます。

・失敗=『恥をかく』『人から評価されない』と思い込んでいる

・失敗することで、自分の自信を失ってしまう

・脳科学的には『危険回避の本能』『防衛本能』であり未来への不安を回避している

どの要因も、ごく自然に湧き上がる感情です。

実際に、どんな失敗でも、経験すると他者から非難されたり、自分の自信を失ったり、やらなければよかったと後悔することもあるでしょう。

ですから、チャレンジすることはすごく勇気がいることで、賞賛に値するものだと私は考えます。

でも、現実はやはり結果を重視することが殆どですから、失敗することを恐れてしまうのも仕方のないことではないかと思います。



失敗がもたらす悪循環

では、失敗することを回避して、無難に過ごすことが良い選択なのでしょうか?

失敗を恐れるあまりに回避し続けると、次のような影響が考えられます。

・行動できない→チャンスを逃す→理想の自分とのギャップに自信がなくなる→さらに怖くなる

・「何もしない」選択が失敗に終わった時の後悔は、何かして失敗した時より大きい

・占いの観点から見ると、行動しないことで運気を活かせない

どれも、「もったいない」と思われるようなことばかりです。

あなたも、身近な人に対してそう感じた経験は少なからずあるのではないでしょうか?

だけど、本人にとっては『恐れ』のあまり、その後の影響まで予測がつかないのかもしれません。

それによって、悪循環が続くことになるのだろうと思われます。

『恐れ』もたらす悪循環がら逃れる方法はないのでしょう。



『恐れの正体』裏にある『孤独』

『恐れの正体』ーーーそれは『孤独』です。

人は無意識に孤独になる事を嫌がります。

だからこそ、世間の目を気にするのです。

それが失敗を恐れる『正体』なのです。

だけど、そこには大きな落とし穴があるのです。

失敗を恐れて、世間の常識に縋っても、本来の価値観とずれているため、常識だけを追いかけていると、生きづらさをどんどん感じる結果につながるのです。

世間とつながっていたいがためなのに、本末転倒では、悔やんでも悔やみきれないでしょう。



世間とはあなたの自身を活かす場所

人間とは群れをなす生物である以上、世間との関わりを切ることはできません。

だけど、世間とは決して同じ基準でいなければならない場所ではないのです。

違い合う個性が集まるからこそ、お互いを支え合うことができるのです。

常識とは『個性』の違いを調和させ社会を円滑にするための仕組みであり、常識を守ることが生きる目的ではないと思います。

自分自身の価値観を大切にしてこそ幸せにつながり、社会への貢献ができるのです。

メディアやSNSに溢れる欲望を高めるキーワードにかき消されて届きにくいですが、世間はあなたの本当の力が発揮されるのを待っているのです。



価値観や考えを再認識できる『マヤ暦』

『本当の力』それを発揮することが挑戦であり、成長への一歩でしょう。

『モヤモヤ』はそれができないから生まれるのではないですか?

でも、長らく自分自身の心に蓋をしてしまったり、人から受け入れられないことが続いた人にとっては、『本当の力』が何なのかわからなくなっている人も多いではないのでしょうか?

そういう時にこそ、自分を見つめ直すきっかけとして占いを役に立ててください。

因みに『マヤ暦』では個性を260のタイプに分類しており、より詳しく解析された『個性』を客観視できるでしょう。

自分の『価値観』や『考え方』、すなわち『本当の力』を再認識することができます。

失敗が怖くて動き出せなくてモヤモヤしている方は、ぜひ、自分の『本当の力』を見つめて下さい。

恐れる心の奥には、まだ見ぬあなたの力が眠っています。

その力を思い出した時、『恐れ』は『希望』へと変わるでしょう。



2025年9月29日月曜日

成長することへの恐怖

あなたは、


「変わりたいのに動けない」 

「本当は挑戦したいのに怖い」

「周りがどんどん大人になっていって、自分の将来が心配になる」


そんな気持ちを抱えていませんか?


『成長する』ことはごく自然なことです。

体が大きくなり、様々な事を理解する様になり、いろんなことが出来るようになります。

『成長すること』は生命にとって欠かせないことで、素晴らしいことです。


なのに、なぜ人は成長を恐れてしまうのでしょうか?



なぜ人は『成長』を恐れるのか?


・新しいことに挑戦したいのに、不安で何も出来ない

・本当は変わりたいのに、どうしたらいいのかわからない

・自分には無理じゃないかと思ってしまう


そんなふうに思ってモヤモヤしたり、もがいたりしている人は少なくないでしょう。


成長して理想の自分になりたいのに、成長する事を恐れてしまう心理とは何でしょうか?


恐れの正体は


・『未知への挑戦』に対する不安(何が起きるかわからない)

・安定した状態から変化することに対する抵抗(今のままでも生きていけるし…)

・周囲からの期待に対するプレッシャー(失敗したら恥ずかしい)


このような感情が考えられます。


皆さんの中にも思い当たる人はいらっしゃるのではないでしょうか?

どれもごく自然な感情です。

ということは、成長しようと思った時に不安に感じるのは当然のことなのです。

どんな英雄も、どんなスターも、必ず成長する時には『怖い』と感じているのです。

『怖い』と感じない人は、よほど特殊な人です。

ですから、成長することに恐怖を感じる自分を『弱い』と嘆いたり、卑下しないでください。



『恐れ』は自分を守るための大事な『防衛本能』


『恐れ』は自分を守る『防衛本能』であり、それ自体悪いものではありません。

無防備に、未知なる世界へ飛び出して、身に危険が起きないようにするための本能です。


ただし、過剰な『防衛本能』は、


・チャンスを逃してしまったり

・周囲の人を傷つけてしまったり

・最悪の場合は自分を傷つけてしまうことに


なりかねません。

そうならないまでも、


・周りがどんどん自分を追い抜いていってるように感じる

・出来ない自分に対して自己否定感を抱えるようになる

・どんどんマイナスな感情が溜まってしまう


そうなると、ますます自信がなくなり、成長することへのハードルが高くなってしまうでしょう。


だからと言って無理に成長しようとしたり、変わろうとすると、万が一失敗した時に、トラウマになるなどして、その先の人生に大きく影響してしまうかもしれません。


では、どうしたら、無理なく成長できるのでしょうか?




成長にはその人にあったステージがある


人にはそれぞれ『成長のステージ』があり、『挑戦のしかた』も違います。

『恐れ』ばかりを抱えて、焦って無理に変わろうとする必要はありません。

『自分に合ったタイミング』と『自分らしい挑戦』で成長することができるのです。

なので極端に不安になることはないのです。

あなたに合った方法でステップアップして行けばいいのです。


マヤ暦ライフアドバイスでは、


「あなたがなぜ不安を感じやすいのか?」

「どうすれば恐れを力に変えられるのか?」

「あなた自身の成長のタイミング」

「ベストなステップアップの方法」


など、あなたに合わせた成長を一緒に探り応援します。


迷いや不安を抱えている今だからこそ、変化のチャンスです!


そして、飛躍的に成長して、理想の自分に近づきましょう!








2023年2月3日金曜日

毒親 ~縛られた人生ではなく、自分の人生を生きよう~

占い師をやっていて、とても切なく感じるのが、トラウマを持っている人の話を聞くとき。

多くの人は、幼少期から思春期の間の出来事が関連してる場合が多いです。





トラウマに関しては、克服して前向きに生きる方法があります。

その場合には、トラウマを受けた時と同じようなシチュエーションで、受けた時よりも良い体験をすることで、記憶に上書きができ、徐々に克服していくことが出来る場合があります。

簡単にできる事ではありませんが、思い切ってチャレンジしてみるのは良い事だと思います。

もちろん、無理にとは言いませんが、協力してくれる人がいるなら思いきれるのではないでしょうか?





ただ、チャレンジしても結果が変わらない時————。
その原因が自分の実の親の場合————。


虐待をしていたり、子供の意志を尊重せずに、意見を押し付けたり、または強く依存したり。

残念な事に、実際にそういう親は存在します。


その親による行為や言葉が原因で、トラウマを抱えたり、自己肯定が出来なくなっている人は実は多いのです。

その為に、人間関係に躓いたり、勉強や仕事に躓くようになってしまいうつむいた人生を過ごして、なかなか前向きに過ごせないのが現状です。





 前向きになって克服しようとしても、相手が実の親であった場合、結果が変わる事がない場合があります。

何度も同じことを言われてしまう。

そういう事が多いでしょう。

その言葉が自分を傷つける事ばかりだったら、しまいには恨んでしまうことだってあるでしょう。

そして、親を愛せない自分を責めてしまうのです。


そういった相談者さんを何人も見てきました。


親だからどうしようもない。


多くの相談者さんはそう言われます。


でも、本当にそうでしょうか?


よく、「親には感謝しなくちゃいけない」「大切にしなくちゃいけない」という言葉を聞きますが、自分の子供を大切にしなかった人を大切にする必要はあるのでしょうか?

私は必要ないと感じます。

極端な事を申しますが、子供を大切にしなかった人は、事件になっていないだけで、罪を犯しているのです。

その罪を子供がかばっているという事に誰も気づいていません。




子供は親を愛するために生まれます。

幼いころは、どんな事をされても親を大切に思うのです。

その気持ちと、当たり前に愛されない切なさとを抱えて社会に出た時に、生きづらさに行き当たるのです。


私は、そういう苦しみを抱えている相談者さんには、親と離れてもいいのではとアドバイスします。

なぜなら、克服できない悩みからは遠ざかった方が良いからです。

人の幸せは、人の幸せの上にこそ成り立ちます。

苦しみや犠牲を抱えた上に真の幸せは成り立たないのです。


もし、この文章を読んで、自分の親と離れたいと思っていた人は、ぜひ離れてみてください。

離れる事で、お互い価値観が変わり、尊重し合えるようになる事もあるでしょう。

だけど、変わらなかったからといって、自分を責めないでください。


だって、あなたの人生はあなたのものですから。

決して親のものではありません。




苦しむことなく、あなたらしく、あなたの良さを引き出してくれるやさしい環境で過ごす事を恐れないでください。

どんな環境に生まれ落ちたって、あなたが幸せになれる権利をあなたが持っているのですから。

2022年7月3日日曜日

浮気を許す?許さない?

 裏切られたこと、自分は愛されていないのではないかと感じたこと、


浮気されてショックなのはどっちの方なんでしょうね?




子供のころから「男は浮気するもの」と何故か当たり前に思っていました。


環境からの影響でしょうか?


思えば周りには

浮気をする人が多かったからかも知れません。

そんな私もその頃は同類でした…。


「会いたいって言われて家に行ったら、彼女が生理でよ。だったら、呼ぶなよな!」


友人が言ったこの言葉が強烈に印象に残っていて、のちの私の恋愛に大きく影響を受けたものでした。


そんな環境しか知らなかった私。

浮気が当然なら、女が浮気しても文句はないよね?というのが当時の考え。


どうしてそうなっちゃったんでしょうね?(笑)


振り返っても、どうしてそういう考えになったのか思い出せないのですが、当時私はそんな軽い考えの女でした。


「知らなければ傷つくこともない。相手を傷つけたくなければ、ばれないように徹底しなくちゃ。」


これが私の持論でした。




完全犯罪を気取って、何食わぬ顔で他の男性の元から帰ったり

「経験した数が女の価値観」と誰かの言葉を真に受けて、一生懸命自分の価値を上げようとしていたり


ここまで振り返って、自分では笑しか出てきません。


本当に恥ずかしい。


なんて身勝手なことしていたんでしょう。


当時、私を気にかけてくださった皆さんに、本当に申し訳ない気持ちが湧いてきます。


ですがその後、身勝手のしっぺ返しは、ちゃーんと私のもとにもやってきました。


「男は浮気して当たり前」


その当たり前の出来事が、私の身にも降りかかったのです。

それまでなぜ浮気されなかったのか不思議ではありますが、その時が初めての経験でした。


彼は完全犯罪者ではありませんでした。

すぐにボロが出たのです。


ただその時は、あまりのショックで何も言えず、何事もなかったようにそのまま自宅に帰りました。


家についてから、猛烈に腹が立ちました。

同時になんて懲らしめてやろうか!と頭をひねり始めました。


ところが数分後、私は落胆していました。


私たちは結婚していたわけでも、結婚の約束をしていたわけでもないのです。

裏切ったかどうかなんて関係ないのです。

お互いが自由。

縛り合った関係ではない。


このことに気が付いたのは、自分の浮気がばれた時に用意していた言い訳があったからです。


彼が浮気したことで私が唯一言える事は「悲しい」の一言だけでした。



「それを言ってどうなる?」

それは私の心の中から発せられた疑問でした。


今の気持ちを伝えるということは、浮気の事実を表面化させること。

そうなれば、別れを告げなければならなくなるかもしれません。


「もうこれっきり、離れていいの?」


今はもう少し一緒にいたい。たとえ浮気されようとも。


そう決断した時の胸の痛みは、経験したことのない痛みでした。

後にも先にもその時だけ。


翌日から私は、何事もなかったように彼と過ごしました。

一緒にいる間、楽しく幸せで、浮気を責めなかったことを後悔する事はありませんでした。


そして、2度目の浮気が発覚した時ー。

私の前を通り過ぎる際に、これ以上ない位に眼を大きくさせてこちらを見る彼を見て、腹が立つのかと思ったら、お腹を抱えて笑い始めたのです。



あんなにびっくりした顔。

隣には別の女性。


ほんとにおバカさんね、見つかるなんて。

それにしても今回は別の女性ってことは、私はまだもってる方か。

あんなにびっくりしたってことは、少しは悪いと思ってるのね。


彼がどうしてそんなに浮気していたのかは今でもわかりませんが、

彼が浮気して、私が傷つくようなことがあったり、迷惑がかかるようなことはありませんでした。


お相手の女性も、それなりに節度がある方でしたしね。


(実は彼が亡くなった後、その女性とは何度かお食事や飲みに行ったことがあるんですよ。なんというか、不思議な絆のようなものを感じていたのでしょうか?一緒に彼を偲びたかったのかもしれません。お互いに彼との関係については何も触れずに。)


その数か月後、彼とはお別れをしました。

浮気が原因ではなく、お互いに違う道を選択するために。

別れる時に喧嘩もしましたが、理解し合っての別れでした。


彼との時間は大切な思い出となっています。

彼が残してくれたいくつかの言葉は、今も私の支えです。


だからあの時、やはり浮気を責めなくて良かったと思っています。


この記事を読まれている方の中にも、お相手の浮気でお悩みの方もいらっしゃるかもしれません。




私の経験が参考になるとは思いませんが、

別れを告げる前に、

ご自身とお相手がどのような関係でいたいのか?という事を

感情的にならずに、一度思い返してみてはいかがでしょうか?


そして、浮気されたことに対して、自分はどんなことにショックを感じているのかという事も。


もし何も振り返らずに、感情的に決断しても、つらい後悔するのは別れたあとなんですから。

時には何も言わずに許すという決断を下す事もあるんですよ。




2022年6月12日日曜日

トイレの神様

禅宗のお寺のトイレには『烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)』という仏様の像が飾られているところがあるそうです。



『トイレの神様』ならぬ『トイレの仏様』ですね。


ですがこの仏様は、インドの神話において『アグニ』という炎の神がもとになっているとのことですから、やはり『トイレの神様』といって良いのかもしれませんね。


この仏さまは、炎で不浄を焼き尽くすとされています。


表情は厳しく、睨みるけるような眼は、穢れが恐れをなして寄り付かなくなるだろうと感じさせる鋭さです。

不浄を清めるためにトイレに『烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)』お札を貼る風習などがあるそうです。


しかし、トイレを汚すのは他でもない人の行いなのです。

誰の目もない場所では、その人の本当の心が現れます。



これは私が占い師になりたての頃のお話です。


『マヤ暦』に出会い、占い師になる事を決意した時に、なぜか脳裏にトイレの便器の映像が浮かびました。

そして咄嗟に「占い師になるために必要なのはトイレ掃除をすることだ!」と悟ったのです。


すぐさま駅で見かけた掃除をしている女性に声をかけ、どうやったら掃除仕事につけるか?会社名は?と戸惑う女性に詰め寄り、電話帳で清掃会社の電話番号を調べ、雇ってくれないか?と直談判したものでした。


面接では「まだ若いのに」「あなたなら他に仕事がいくらでもあるでしょう」などと言われましたが、

「私は雇ってもらえないのですか?」とうつむき加減に上目遣いで潤ませたような眼で訴え、何とか雇ってもらいました。


入社し、制服に着替え、向かった先は札幌駅の構内。

1日の利用者数は約12万人と比較的大きな駅。

観光客が多く利用し、『旅の恥は搔き捨て』とばかりに様々な人が行きかう場所でした。




初めての掃除の現場で感じたことは、人はいかに残念なのかという事。


床を汚しても平気。

朝の混雑時に列に割り込んでも何食わぬ顔。

洗面台を占領してメイクをしても、誤って掃除用具をけって倒しても素通り。

人が少なくなった時間に掃除をしても、不満を直接口にするのは当たり前。

トイレットペーパーを持って帰る、家のごみをトイレに捨てる。

それを注意しても知らんぷり。

ひどい時には、若い女性が男性トイレで掃除しているのを面白がって、わざと自分の排せつ物がかかる様にしたり、ご自分のをアピールする行動をされる方もいました。


これらの事をしていたのは、ガラの悪い不良でも、年端のいかない子供でもありません。

しっかりとした洋服をまとった社会人が殆どでした。


掃除の仕事に就く前はホステスだった私にとって、それは驚くことばかりでした。

夜の街で一通り、人の心の隙間や、見えない部分を見てきたつもりでしたが、更に奥深い部分を見せつけられたような感じでした。


そしてその時、ようやく掃除の仕事に就いた理由が分かったのです。

今まで見えていなかったことを見るためなんだと。

トイレでは普段見せない一面が現れます。


それは一緒にトイレを利用する程度では見られない姿です。

掃除スタッフという、一般的に気にも止められない存在だったからこそ、見られたのです。



私はその事実を醜いと感じました。

同時に許せないと思いました。

真面目な顔をしておきながら、本性を隠していることに。


「それが人なんだよ。」


と言ったのは、私が占い師になるために俺が教え込んでやるよと勝手に名乗り出た一人の男性でした。

その男性は不思議なオッサンなのですが、彼の話は常に興味深く、当時の私の視野を広げてくれました。


「お前が腹を立てるのは同じ感情がお前の中にあるからなんだよ。同じ感情がなければ気にも止めない。そんな事を言って、もし、お前がその人と同じ立場ならどうだった?今は同じことをしないと言えるだろうが、トイレ掃除をする前だったらどうだった?」


彼は優しく言いました。

そしてその言葉に、私は黙ってしまいました。


「な、それが人なんだよ。」


彼はもう一度そう言いました。


その言葉の意味を受け入れられるようになったのは、それからずっと後の事でした。


どんなに着飾っても、どんなにすましても、人には隠せない部分がある。


それは人に見られては恥ずかしいと感じるもの。

そして、それを自分では正すことのできない弱さがあるという事。


それも含めて、人なんだと。


彼の言葉とトイレ掃除の経験で教わりました。


占い師になった私にとって、とても大きな経験でした。



禅寺のトイレに飾られている仏像。


鋭い目で睨んでいるのは、穢れを焼き払うだけではなく、人目をはばかり、醜い行いをしよとしている私たちに何かを語りかけているのかもしれません。






2022年5月15日日曜日

苦しい


知人、友人、恋人、家族、親しい人の自死に直面した時、


「なぜ、もっと話を聞いてあげなかったのだろう?」


と、ご自身を責められる方は多いと思います。


メディアでは、悩みを抱え込まずにお気軽にご連絡くださいと画面に電話番号が表示されます。


ですが、そうじゃないんです。


『悩み』を打ち明ける事が解決ばかりではない事もあるのです。


そもそも、そこに『悩み』があるのかすら本人には定かではない事もあるのです。




実は、私も何度か死の淵を除いたことがあります。


「占い師だから、人の悩みを貰っちゃうんじゃないか?」


と思われる方もいらっしゃるでしょうが、それは違います。むしろそのころは、自分でも順調に行動できていると思っていたくらいですから。


原因は、『過労』と『更年期』でした。


若いころから体力には自信があり、寝不足でも難なく過ごすことが出来るのが自慢でした。

いつも寝つきが良く、数時間眠れれば翌日には元気に仕事をしていました。

それがあるころから、徐々に眠りにつくことにプレッシャーを感じるようになっていったのです。


いつの間にか「眠れない」が口癖になりました。


今に思えばその頃から自分の言動がおかしくなっていってたと思います。

そしてついに、諍いの最中、自ら刃物を持っていました。

数日後のある朝、仕事に行く為に出かけようとしてガタガタ震え始め、その場に崩れ落ちそうになった体を支えられた時、「病院に連れて行って」と泣きながら訴えていました。


それから緊張の糸が切れたように、自宅でほぼ寝込んだような生活が続きました。

生きていることへの苦しみに襲われながら、投薬と自宅療養する日々。


どうやったら人に心配や迷惑をかけないで死ねるかだけを考えていました。


失敗もできない。ちゃんと死ななければならない。死体の始末も死後の始末も、他人に迷惑をかけてはならない。


きっちり死ぬにはどうしたら良いか?


結果、私には『完璧な自死』の計画は立てられず、諦めて『爆買い』に走りました(笑)




その後、セカンドオピニオンで良い先生に出会い、緩やかに回復し、仕事へも復帰し、ほぼ日常を取り戻しました。


自ら病院に行きたいと言って治療に至ったのは、仕事柄、沢山の方にお会いし、客観的な意見を言う経験をしているお陰でした。


2度目に『自死』の衝動にかられたのは、『更年期』の症状が顕著になってからでした。


毎日『倦怠感』に襲われ、仕事を休みがちになり、何もかもに自信を無くし、ベットの中でうずくまりながら、再び「死にたい」と呟いていました。


医師に相談しても、「年齢的なものだから」と解決策は見出されず、言葉にならない苦しみにもがきながら悶々とした日々を過ごしていました。


幸いに、ある方法で更年期の『倦怠感』を克服し、今はまた平穏な日常を取り戻していますが、心の中ではまだ、あの時の苦しみによる恐怖が鮮明に残っていて、またいつあのような事が起こるのか?という不安は消せないままです。


このように、『自死』を意識するのは特段大きな『悩み』だけではないのです。


普段ならあまり気にも止めない疲れや睡眠不足、体調の変化などでも『心』に大きな変化をもたらすのです。


そしてそんな時は、どんな方法も全て逆効果になってしまうのです。




もちろん、誰かに話を聞いてもらいたいと思う事もあります。


孤独を感じていますから、誰かに聞いてもらいたい。甘えたい。背中をさすってもらいたい。という気持ちが湧き上がります。


ただ、話をしたいと思っても、どうしても躊躇してしまうのです。


気持ちが沈んでいるため、自分の話を聞いてもらえるのか?忙しくて相手にしてもらえないのではないか?聞いてもらって理解してもらえるのか?厳しい意見を言われるのではないか?


そう思うと話そうにも声が出せなくなるのです。


ですから、そんな時に無理に話を聞かれたり、励まされるのも当人にとってはつらいものになります。


よく、「頑張ってって言ってはいけない時がある」といいますが、それは「頑張って」だけではないのです。


「早く良くなってね」

「そのうち元気になるよ」

「気楽に考えようよ」

「落ち込んでばかりいないで、楽しいこと見つけよう」

「たまには外に出て、リフレッシュするといいよ」


どれも、思いやりのある言葉ですが、意外にも心が沈んでいる時にはその言葉が矢のように突き刺さり胸を痛めるのです。




今まで良かれと思って声をかけた方にとってはとてもショックなお話ですよね。


けど、残念ながら、何らかの原因で心が沈んでしまった時は、当たり前の事も、当たり前に受け取れない事があるのです。


私は、経験上、専門家に委ねてよかったと思っています。


精神科医やカウンセラーは患者にとって『合う・合わない』はあるかと思います。

それでも、自分にとって『心』を委ねられる専門家に出会う事で、症状は改善されることは期待できます。


日本は、心理セラピーについては、かなりマイナーであると言えますが、様々な研究が進み、有効的な心理療法は数々登場しています。


精神科やカウンセリングに通う事は決してネガティブではありません。


言葉に出来ない『辛さ』や『苦しみ』を感じたり、または、身近な人が気落ちしている状態が長く続いているのに気が付いたら、専門家に足を向ける事をおススメします。


あなたや、あなたの大切な方が、これからも健やかに過ごせることをお祈りします。


そして最後に、浮世より先に旅立たれた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。




2021年11月23日火曜日

『怒り』の奥の、またその奥に隠れているもの



 『アンガーマネージメント』

『怒り』がわいたとき、どのように行動すると良いかについて、前回投稿しました。


『怒り』自体は自然と湧いてくるもの。

それを、その感情のままに行動するのではなく、いくつかの手段で、相手を傷つけない行動をとる方法についてみなさんに簡単にご紹介させていただきました。


ご紹介した方法が、みなさんのお役に立てればと思います。


それにしても、なぜ『怒り』が湧くのでしょうか?



怒りが湧かなければ、人とのコミュニケーションはスムーズに保たれるはずです。


前回も触れましたが、誰もが正当と感じる事に関しては『怒り』を持つことによって、多くの人に有益な状態に変わっていくことが出来ます。

なので、その『怒り』は必要なものといえるでしょう。

ですが、ほんの些細な事にも『怒り』を感じて感情的になるは話は違ってきます。


普段から些細な事でも『怒り』が湧く方、イライラしやすい方、そんな方には何か共通点があのではないでしょうか?




些細な事にも『怒り』を感じやすい人は大きく分けると2つのタイプがあるようです。


1. 競争心が強く、せっかちで余裕がない。思い通りにならないとイライラしやすい、わがまま、他人をコントロールしようとする。

2. 自己主張せず従順で、他人への気配りが過剰。真面目で几帳面、自分の感情、特に不安や怒りを抑圧して表に出さない。他人にコントロールされやすい。



このどちらのタイプにも、共通点が見られます。



それは、


『怒り』を露わにした後、周囲の人とどのような状態になっても、自分から謝るケースが殆ど見られない事。



話を聞くと、「自分は悪くない」と言うのです。



半面、自身のコミュニケーションの能力を疎み、極度に孤独感を抱えている傾向が強いのです。


つまり、自分は悪くない、相手が悪いと思っていても、人とは仲良くなりたいと本心では思っているのです。



だったら、もう少し穏便になって、周りの人に優しく接すればいいのにと思われる方も多いですよね?



ただ、彼らにはもう一つの共通点があるのです。



『過去に自分の意志が相手に伝わらず、本人にとって不本意な決断をしなければならない経験を持ち、その事について強いトラウマがある』



特に幼少期から思春期にかけてそのような経験がある方にその傾向が強く見られます。



その背景には家庭や教育環境が大きく影響しているのがわかります。



・幼いころからご両親の言いなりにだった


・両親や家族と離れて暮らして孤独感を感じていた


・学校でのいじめなどが問題で、家族に心配かけまいといつも我慢していた



など、幼いころから自分の本心を最も身近な人に打ち明けられず、または打ち明けても頭ごなしに否定されたために、寂しさや悲しさ、悔しさなどを内に閉じ込めて過ごしていた方が殆どです。







幼少期にそういった経験をすると、大人になっても自分に自信が持てなくなる傾向にあります。



「この人は、自分の心をわかってくれるだろうか?どうせ今までと同じく、わかってなんか貰えないだろう。」



そんな言葉が何度も心の中に現れ、再び感情を閉じ込めてしまいます。



そのため普段から強がって、時には高圧的な態度で相手を変えようとしたり、時間が過ぎる事によって、相手が変わる、または環境が変わる、もしくは人が去るのを待つようになるのではないでしょうか?



ただ、人を変える事はとても難しい事です。

ましてや、一人の為に周りみんなが変わるという事は、とうてい誰も賛同してくれないでしょう。






人は孤独に生きていくことはできない生き物です。



集団でいても、孤独を感じた時、無性に虚しくなるでしょう。



この世に自分を理解する人はいないんだと、心の中で無意識に周囲を責めるでしょう。



その『責め』も内に抱えたまま、何かをきっかけにしてその気持ちを爆発させ、『怒り』を周囲にばらまいて、あなたの気持ちを押し付けていませんか?



そんなことはないとおっしゃる方もいらっしゃっるでしょう。


自分の『怒り』には正当性があると。



ですが、その時に目の前にいた人の表情を思い出してみてください。



あなたの怒りに戸惑い、怯え、悲しそうな顔をしていないでしょうか?



その表情は、幼いころのあなたのものにそっくりではありませんか?







『怒り』の奥にある感情の更にその奥にある『孤独』



その『孤独』を誰かに理解された時、あなたの『怒り』を作り上げる感情の変化も緩やかになるのではないでしょうか?



『怒り』をばらまいて周りを変えようとせず、あなた自身が行動して『孤独』を解き放ってみませんか?



どうやって?そう思われるでしょう。



打ち明けてみるんです、素直に。



あなたが孤独と感じることを。



誰かに気持ちを共有してもらうのです。


友だちでも家族でも、知人でも恋人でも。それが難しかったら、カウンセラーでも精神科医でも、占い師でもいいです。


あなたの言葉を否定せずに話を聞いてくれる人に、気持ちを共有してもらいましょう。



和らいだ心には『怒り』なんか生まれてこないはずです。



その『打ち明ける』なんて行動はあなたにとって怖いことかもしれませんね。


ですが、試してみてください。




今まで変えられなかった何かが変わりますよ。






2021年11月7日日曜日

『怒り』自体が悪いのではない

 どうして怒ってしまうなんだろう?

あんなにキツく言わなくても良かったのに。


そんな風に感じたことはありませんか?


ちょっとした事で怒鳴ってしまう。

人より感情の沸点が低い。


怒りのコントロールが出来ない・・・


それが原因で、ひどく落ち込む事もあるのではないでしょうか?




アンガーマネージメントは最近、コミュニケーションを円滑にする上で、かなり注目されるようになりました。


ふっと沸いた怒りに対してどう向き合うか?

それは時代に限らずとても重要な事です。


なぜ怒ってしまうのか?

なぜ怒鳴ってしまうのか?


まずはこの疑問に向き合うことが肝心です。


そもそも、『怒る』ことは全ていけない事でしょうか?

実際、その全てが悪いわけではありません。



例えば、悪さをしている子供に向かって叱る。身の危険が迫った時に怒鳴る。身近な人が傷つけられた時に怒るなど。

こういった場合には、もちろん概ね正当化されると思います。


では、問題になる『怒り』とは、どういったことでしょうか?

・イライラして周囲に当たってしまう。

・言うことを聞かせようとして高圧的に怒鳴る。

・感情が昂って、相手の反応に構わず起こり続ける。など。


『怒り』が生まれた時に取った行動が、相手を傷付けてしまう事が問題に当たるのです。



怒りには、6つのパターンがあると言われています。


  1. 公明正大タイプ ー マナー違反や社会的に正しくないことに怒りを感じやすい。
  2. 博学多才タイプ ー 何でも白黒はっきりつけないと気が進まない。はっきりしない人にイライラしやすい。
  3. 威風堂々タイプ ー 自分が一番でいたいと思っている。
  4. 外柔内剛タイプ ー 自分が決めたルールから外れる事を嫌がる。表向きは穏やかだが、自分ルールから外れるとイライラする。
  5. 用心堅固タイプ ー ネガティブな方向に誇張して考える傾向があり、些細な事でも必要以上に悪くとらえて怒りを感じやすい。
  6. 天真爛漫タイプ ー 後先考えずに行動する割に、思うようにならないとイライラし怒りを感じやすい。


以上に分類されるそうです。

こうしてみると、『怒り』には『原因』となる何かが必ず存在しているのがわかります。

その『原因』に対して感じたことによって『怒り』が湧き、態度で感情をあらわにするのです。


専門家は感情を二段階に分けて表現しています。


第一感情 ー 寂しさ、悲しさ、恥ずかしさ、不安、困惑、恐れ

第二感情 ー 怒り




人が怒ってしまうのは、第一感情が発生し、その後第二感情が生まれるという事なのです。


つまり、悲しいことが起きたり、恥ずかしい目にあったり、そんなことが起きた場合にも『怒り』と言う感情が湧き上がるのです。


そこで、アンガーマネジメント(怒りをコントロールする方法)では、まず、「なぜ怒ってしまったのか?」その原因を探るようにしています。


・自分が何も知らないような言い方をされてような気がして恥ずかしくて怒ってしまった。

・約束を破られて裏切られたような気がして悲しくなって怒ってしまった。など。


このように、一度冷静になって『怒り』の原因を探ることで、ご自身も気持ちが落ち着いていくのではないでしょうか?


さて、ここからが肝心。


『怒り』の原因が分かったところで、今後、同じような場面に遭遇した時にどのようにするかが大切です。


上記のように、『怒り』の原因事態が『正当』であった場合、それを相手に伝える必要があります。

そうでなければ、例えば『不当』な扱いを受けても、ずっと我慢しなければなりません。


ではどのようにするのか?


それは、一次感情である『悲しい』や『恥ずかしい』などの気持ちを素直に相手に伝える事です。


「自分が何も知らないと言われた気がして悲しかったよ。」

「約束破られて、がっかりしたよ。」


こんな風に伝えてみるといかかでしょう?

そうすれば、不用意に怒鳴ってしまって相手との関係をいきなり悪化させることは避けられるのではないでしょうか?




でも、「そんなに簡単に、冷静に自分の感情を振り返られない」って言われるかもしれませんね。


アンガーマネージメントには、例えばこんな方法があります。


  1. 6秒数える ー 怒りのピークは長くても6秒と言われています。大声を出す前に6秒待ってみましょう
  2. 怒りが湧きそうな場面から離れる -怒りの焦点から気をそらすことで冷静になれる
  3. 今後の自分の評価がどうなるのか想像してみる ー 感情的になった結果、周りからどう思われるか考えてみましょう
  4. 過去の成功体験や、嬉しかった体験を思い出す ー イライラ状態を放置しておかず、感情のリセットしてみましょう
  5. 怒りが湧いた時に言うセリフを決めておく ー 「大丈夫」「わかった」など
  6. 怒りを点数化する ー 点数化して冷静に評価することで、心に余裕を作りましょう
  7. 深呼吸をする ー 深呼吸をしてリラックスしましょう

いかがでしょうか?

全てを一度に実践しなくても良いと思われます。

『怒り』により、感情的になった時、どれか一つでも実践してみると、結果は今までとはずいぶん変わっていくと思います。


アンガーマネジメントは「『怒り』が生まれて相手に何かしらの行動をとった時に、後悔しないためのもの」とされています。


「怒りが生まれる」≠「悪」


『怒り』事態は悪い事ではないのです。


ただ、その感情が生まれた時、どういう行動を取ったらいいのかを普段から意識してみるといいですよね。


そうすればきっと、嫌な後悔も生まれることなく、大切に思っている人とも長く過ごせることが出来るでしょう。





2021年10月31日日曜日

死者の日




今日は『ハロウィン』。

主に、北アメリカなどで盛んなこの行事は、近年、日本でも大いに盛り上がっていますね。

緊急事態宣言が開けた今、みなさんの楽しみの一つではないでしょうか?


実は、この『ハロウィン』と似たような行事が、マヤ文明発祥の地メキシコでも行われていているのをご存知ですか?


それは、『死者の日』という、死者を迎入れるお祭りなのです。


ディズニー映画の『リメンバー ミー』で知ったと言う方も多いかもしれませんね。


メキシコ地方の地域では、このお祭りはとても重要なお祭りとされているようです。




『ハロウィン』は、毎年10月31日に行われますが、『死者の日』はその翌日の11月1日から2日に行われます。

『ハロウィン』の翌日ということで、隣国のアメリカの影響で始まったのか?と思われる方も多いかもしれませんが、メキシコ地方におけるこの祭典は、遡るとおよそ3000年ほど前になると云われています。


以前は8月ごろに行われていたものですが、カソリックの影響で『諸聖人の日』(亡くなった聖人を祝う日)にあわせてこの時期になったとされています。




元々、マヤ文明では、先祖のガイコツを飾る風習があり、死者の象徴であるガイコツ=生まれ変わりの象徴とされており、貴重に扱われていたと考えられています。

マヤの世界観では、『死』は『消滅』ではなく『再生』を意味しており、それ自体を尊ぶものとされていました。

『死の神(白い世界の橋渡し)』は再生を司る神とされています。

古いものが死ぬことで、新しい生命が誕生するという概念があり、死と新たな誕生その両方を祝福していたのです。

日本においての死生観とはかなり感覚が違いますよね?


日本でも、『お盆』という先祖を迎入れる行事がありますが、どちらかというと静かないイメージではないでしょうか?

『死者の日』は明るく楽しいがモットー。

それは、「楽しく死者を弔い思い出し、死者が存分に楽しみ死の国へ帰って行けるようにするため」だからなのです。

とても素敵な文化ですよね。





マヤの時代から身近なガイコツを綺麗に可愛らしくデコレーションして、飾ったるなんて私たち日本人には驚きですよね。

更に祭壇には沢山の供物を飾り、パレードも行われます。


『死』に対して、どうしてもネガティブになりがちですが、彼らのようにポジティブに受け入れ、その時を向かえるまで、精一杯命を燃やして、楽しく自分らしく生きていきたいものです。


さて、今日の『ハロウィン』。

みなさんは、どのように楽しまれるのでしょうか?

素敵な1日になりますように願っています。








2021年10月27日水曜日

変化を恐れない

私の住む札幌は今は、紅葉の真っ盛り。

雪虫という、雪が降る直前に現れる虫が、宙を舞い、そろそろ冬支度の季節です。

札幌の南側は山々に囲まれていて、赤、黄、茶などの色彩が日に美しく染まっています。

ほんの少し前まで、新緑に染まっていた木々が、いつの間にか色を変える。

季節の移ろいは不思議なものです。

時は常に移ろうものなのですね。




自然というのは、常に変化をするものです。

変化とは実は、とても日常的な事なのです。

出会い別れ、入学や卒業、就職や退職に転職、結婚や離婚、出産に子育て、成長。

その他に、政治や経済、世界情勢や流行など世の中の変化。


私達の日常は常に変化に富んでいます。

ですが、私達はなぜかどうしても、その変化を受け入れる事も楽しむ事も苦手です。

これは人間に備わっている一種の防衛本能の一つとも言われています。

変化することによって、今まで経験していない体験をすることで、危険にさらられるのではなっかと、脳が無意識に働くことによるようです。


ですが、この作用をすっかり騙して、変化をすんなり受け入れる事も可能なのです。

それは、変化する事が、当たり前なのだと意識すること。

そして、その変化を進んで受け入れ、楽しみ、変化した後の方がより良い状態になったと成功体験を繰り返す事です。


そうすることによって、体が、変化に抵抗し防衛することから、変化を受け入れ、自分自身も変化していくことが当たり前と判断し、むしろ、変化しないようにすることが、逆に生命にデメリットになると判断するようになると言うのです。


とても興味深いですね。


季節の移ろいともに、その変化を美しく彩る自然のように、

私たちも、変化を怖がらず、むしろ楽しんで、

美しく懸命に色づき、成長と言う名の華麗な転身を遂げていこうではありませんか。